オーストラリア・シドニーの歴史的地区「ザ・ロックス」は、今でこそ観光客に愛される美しい街並みですが、かつては再開発計画によって取り壊しの危機に直面していました。1960〜70年代、都市開発の波が押し寄せる中、この街を救ったのが「グリーン・バン(Green Ban)」と呼ばれる労働組合主導の市民運動です。経済合理性よりも文化的・社会的価値を重視したこの運動は、経済学にも影響を与えるほどの象徴的出来事として記録されています。
都市再開発の危機と「グリーン・バン」の誕生
当時のシドニーでは、「古いものを壊し、高層ビルに置き換えることが進歩だ」という価値観が支配的でした。ザ・ロックス地区も例外ではなく、植民地時代から残る歴史的建物の多くが取り壊される計画でした。
しかし、その流れに立ち向かったのが、建設労働者連盟(ビルダーズ・レイバラーズ・フェデレーション)と地域住民たちでした。彼らは「グリーン・バン」という形で、環境や地域文化を守るために建設作業を拒否。単なる労働争議ではなく、公共善を守るためのストライキとして世界的に注目されました。
【広告】
この運動を主導したのは、建設労働者連盟のジャック・マンディ(Jack Mundey)氏。彼はザ・ロックスでの抗議活動中に逮捕されながらも、信念を貫き、運動を全国規模へと拡大しました。
保存の成果と社会的遺産
グリーン・バン運動によって、ザ・ロックス地区をはじめとする多くの歴史的建造物が破壊を免れました。この結果、地区は都市保存の先駆的モデルとなり、シドニー市民の誇りへと変貌します。今日、観光地として賑わうこの地区は、過去の市民運動が現在の経済・文化の両面に利益をもたらした好例として評価されています。
もし当時の再開発計画が実行されていれば、ザ・ロックスは高層ビル群に覆われ、シドニー独自の歴史的個性は失われていたでしょう。市民と労働者の連帯が、都市の「魂」を守ったのです。
経済学への教訓:数字では測れない価値
グリーン・バンが経済学に与えた最大の教訓は、「市場がすべての価値を測れるわけではない」という点です。短期的な経済効率や不動産価値よりも、地域の文化、社会的つながり、景観の調和といった非金銭的価値が、長期的な都市の豊かさを形成することを示しました。
経済学者ミルトン・フリードマンの自由市場思想が主流だった時代に、この運動は「人間的価値」の重要性を突きつけました。ザ・ロックスが現在も観光収入と文化的価値を両立させている事実は、グリーン・バンの理念が市場原理を超える力を持つことを証明しています。
現代への示唆:市民が都市を形づくる力
グリーン・バンの遺産は、都市政策や環境運動の枠を超え、現代社会への普遍的なメッセージを放ち続けています。経済効率を最優先する開発よりも、地域社会の記憶と自然環境を尊重する姿勢が、持続可能な都市をつくる鍵であるということです。
また、この運動は「一人のリーダーと市民の連帯」がいかに大きな変化を生み出せるかを示しました。グリーン・バンがなければ、今日のシドニーは全く異なる姿になっていたでしょう。


コメント