インドの音楽界に深い悲しみが広がっています。アッサム州の象徴的な歌手であり作曲家であるズービン・ガルク氏が、ライブコンサートのために訪れていたシンガポールで、9月19日に52歳という若さで溺死しました。彼の突然の死を悼むため、アッサム州の州都グワハティには、数十万人のファンが集まり、最後の別れを告げようとしています。
彼の葬儀は、州の栄誉をもって火曜日に執り行われる予定です。アッサム州のヒマンタ・ビスワ・サルマ首相は、死因に不正行為がないことを確認するため、遺体に対して2回目の検視が行われた後、火葬を行うと述べました。
人々の心を掴んだ「ヤ・アリー」と40以上の言語で歌った歌声
ズービン・ガルク氏の功績は、アッサム州にとどまりません。彼は33年にわたる輝かしいキャリアの中で、実に40以上の言語や方言で歌を歌い、インド全土、そして世界中の人々の心を掴みました。
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特に、2006年の映画『ギャングスター』のヒット曲「ヤ・アリー」(ヒンディー語)は、彼をインド全土に知らしめるきっかけとなりました。この曲は、彼の独特な歌声と音楽的才能を全国に広め、彼を国民的スターへと押し上げました。彼は単なる歌手ではなく、アッサム州の文化的なアイコンであり、多くの人々にとってかけがえのない存在でした。
国を挙げての追悼と、残された功績
ガルク氏の死後、アッサム州は3日間の服喪期間を宣言し、国を挙げて彼の死を悼んでいます。グワハティには、政治家や音楽家、そして大勢のファンなど、多くの著名人が集まり、彼への最後の敬意を表しています。
ナレンドラ・モディ首相も、ソーシャルメディアのXでガルク氏を悼み、「音楽への豊かな貢献」は永遠に記憶されるだろうと述べました。彼の音楽は、言語の壁を越え、多くの人々に愛され続けています。
今後の展望と、まだ見えない「真実」
ガルク氏の死をめぐっては、その原因について様々な憶測が飛び交っています。しかし、現時点では、警察による2回目の検視結果を待つ必要があります。この検視が、彼の死の真相を明らかにし、ファンに安堵をもたらすことが期待されます。
彼の突然の死は、多くの人々に衝撃と悲しみをもたらしましたが、彼の残した音楽は、これからも多くの人々の心の中で生き続けるでしょう。彼の功績は、インド音楽の歴史に深く刻まれることになります。
出典
BBC News: “Zubeen Garg: Fans gather to mourn the death of Indian icon”


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